「人のアドバイスに耳を傾けるな」技術者のヒーロー、ジェームズ・ダイソンの7つの金言
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こんばんは!
みなさん、技術者のヒーロー、ジェームズ・ダイソンはご存知でしょうか。
テレビ東京系番組「カンブリア宮殿」に、余りにも感銘を受けたため、3回見てしまいました。カンブリア宮殿は毎週見ていましたが、この回は神回でした。
今日は掃除機のパラダイムに変革を起こした、彼の7つの金言に迫ります。
photo credit: Eva Rinaldi Celebrity and Live Music Photographer via photopin cc
「5年と5127台、そして15 年」彼は何を成し得たか
ダイソンは言わずと知れた、従来の紙パック式掃除機から脱却したデュアルサイクロン式掃除機の発明者です。家電量販店の掃除機売り場はもはや、大半(60%)をサイクロン式掃除機が占めています。ダイソン社の社員が口を揃えて言う、彼の「辛抱強さ」。
番組内でも説明がありましたが、彼の業績をご紹介致します。
〜1978年
彼は元々発明好きで、ジープを載せて海上を60kmで走る船(シートラック 1970年)や、車輪のかわりにボールを使った猫車(手押し車ボールバロー 1974年)の発明者でもあったとのことです。日本人もよく畑やセメントを運ぶ時に使う一輪車です。当時、車輪をボールにしたことにより、土に埋まらず、喜ばれたそうです。
1978年
ダイソンは従来の紙パック式掃除機を使用していたときに、吸引力が落ちてしまい、全く吸わなくなってしまったことに怒りと苛立ちを覚えました。目詰まりすると、中のゴミを取り除いても、吸引力が復帰しませんでした。以来、彼は従来の掃除機に対する「怒り」をアイデアの源泉とし、この問題の解決をライフワークとしました。
そしてある日、製材工場の粉塵を「遠心分離機」の原理によって、分離・吸引している様子を見て閃きます。「これを掃除機に応用できないか。」
(この原理は 1886年、アメリカのモース(M.O.Morse)によって発明されています。粉体分離器 - Wikipedia)
1978年〜1983年
ダイソンは家の物置きに独りきりで籠りながら、掃除機の試作(プロトタイピング)を始めました。1台目は殆どが段ボールで出来ていました。
諸説有りますが、幾多の失敗、5年の歳月と5,127台の試作機を経て、ようやくGフォース(遠心力)型サイクロン式掃除機を完成させます。(恐らく小さい改善(モディファイ)も含んでの、5,127台でしょう。しかし、彼のくじけない執念と意思は凄まじいものでした。)
1983年〜1990年
ダイソンは、英国・米国内にて自分の発明に基づくサイクロン式掃除機の製造販売を行ってくれるメーカーを探します。しかし、どこも相手をしてくれません。
彼らがダイソンの申し出を断った最大の理由は、まさに「紙パックというサプライ品で儲けている、既存のビジネスモデル」を崩壊させることに他なりません。紙パックは彼らに年間約1億ポンド=約38億円の売り上げをもたらしていました。彼らの中には、大手フーヴァーや現在でも日本で掃除機を販売しているブラックアンドデッカーも含まれます。1985年、ダイソンは日本の会社に試作品を持ち込みます。日本の技術者は彼の新しい技術に興味を持ち、興奮し、感銘を受けました。ダイソンは日本の企業、シルバー精工とサイクロン式掃除機に関するライセンス契約を交わします。
1990年〜1991年
Gフォース型サイクロン式掃除機は上記の理由により、英国・米国内では製造販売ができない状況にありました。
1991年、遂にダイソンとライセンス契約を交わしたシルバー精工が、世界初のGフォース型サイクロン式掃除機の量産モデルを日本で通信販売します。(残念ながら、シルバー精工自体は2011年に破産しています。シルバー精工 - Wikipedia)
後述しますが、ダイソンはもともと日本に愛着を抱いていました。更に、このライセンス料が後の工場を設立する資本金になったため、彼は日本での出来事を、「非常に良い思い出だった」と語っています。彼の技術を使用した最初のサイクロン式掃除機の量産モデルは、今ではロンドン科学博物館の掃除道具コーナーに、「which was made under licence in Japan(日本でライセンスのもと製造された)」と記載され、展示されています。
1993年
シルバー精工から得たライセンス料を用いて、ダイソン(Dyson)社を起業します。恐るべきダイソンの熱い意思!ここに至るまで、何と15年の歳月を要しています。ウィルトシャーに研究所と工場を開設し、現在のダイソンの掃除機に近いカラーリングの、サイクロン式掃除機DC01を開発、販売します。「紙パックよ、さようなら」 というキャッチコピーは紙パックの交換を面倒と考えていた当時、衝撃だったようです。彼の発明はついに人々の心を捉えます。皮肉にも前述の「ダイソンとのライセンス契約を断った」メーカー達は紙パックの要らない方式を模索することとなります。(結果、フーヴァー社はダイソン社に特許で敗訴しています。)
〜2014年
ダイソン社は軌道に乗り、掃除機という分野への選択と集中により一層の飛躍を遂げます。「吸引力の落ちないただ一つの掃除機」というキャッチコピーは日本での大ヒットにも繋がりました。(厳密には吸引仕事率は低下する可能性があるため、消費者広告に厳しいヨーロッパでは取りやめになっているようです。日本では依然として使用されています。)
冒頭のダイソン式猫車(一輪の手押し車)から得た発想で、掃除機の車輪がボール型になったサイクロン式掃除機DC15は、我々の記憶にも新しいです。現在に至るまで、サイクロン技術に徹底的に磨きをかけています。最近では羽根のない扇風機「ダイソンエアーマルチプライヤー技術」を搭載した扇風機(※)や、小型で強力な「ダイソンデジタルモーターV4」を搭載したDC48、更に小さいDC63が高額にも関わらず大ヒットしています。今年2014年の新製品では、「ダイソンエアーブレード」技術を搭載した蛇口一体型のハンドドライヤーも番組で紹介されていました。上記の小型モーターを用いて、時速600kmの風で手の潤いを保ちながら乾かす技術、とのことです。
(※)1981年に東芝が類似のデザインで特許を取得しており、争点になっているようです。
ダイソン、実は2005年前後に洗濯機も作っており、事業としては見事に失敗しております。このような失敗を乗り越えながら、今日まで新しいデザイン、製品を世に送り続けています。
また、若手エンジニアの育成と成長の観点から、自ら私費で主催する「ジェームズ・ダイソンアワード」では、世界中のエンジニアから優れたアイデアを集め、実際に出資者を集めて事業化の世話を行っています。2013年度のダイソンアワードでは、日本人が初めて入賞しました。
JAMES DYSON AWARDで2位に輝いた義手が色んな意味で未来過ぎる | roomie(ルーミー)
photo credit: Eva Rinaldi Celebrity and Live Music Photographer via photopin cc
情報をもっと!という方は、以下のリンクもご覧下さい。
「私の師匠は盛田昭夫」ダイソン、日本への思い
イギリス・ウィルトシャー州マルムズベリーにある、ダイソン本社=ダイソン
自らをCEOではなくチーフエンジニアと呼ぶダイソン(ここからも技術者たる誇りが伺えますね)の傍にある机の上には、「それまでの常識を覆した画期的な機能を持っている」製品が並んでいます。世界で最初に垂直離陸を可能にした飛行機(VTOL機)や、世界で初めて油圧により自動車を水平に保つサスペンションや油圧ブレーキを搭載したシトロエンのDS19、そして、ソニー創業者の盛田昭夫が開発した防水型のウォークマンがお気に入りのようです。彼はこれを持っていろんな所を旅したようです。彼は世に革新的な製品を送り出した、盛田昭夫や本田宗一郎を尊敬していたのます。「盛田昭夫さんは、私の師匠同然です」と。
前述のシルバー精工によるライセンス契約の件で、尚更、ダイソンは日本好き、になりました。小型のモーターを搭載した従来よりも3割ほどコンパクトなサイクロン式掃除機「DC48」は、日本を大切な市場と捉え、小型化と静音化に取り組んだ結果とのことです。
photo credit: Eva Rinaldi Celebrity and Live Music Photographer via photopin cc
閑話休題 ダイソンの奥さんがスゴイ件
ダイソンは5年間をかけて5,127台もの掃除機の試作品を生み出し、成功と呼べるまでに至った期間は15年間です。妻と子供で家族3人、住宅ローンもあり、試作費用は銀行に借りていました。友達には「ちゃんと仕事に就け」と言われたそうです。さて、普通の奥さんならこの状況に耐えられるのでしょうか?
何と、ダイソンの奥さんは、彼を見守るだけでなく、絵画教室を開いてダイソンを支えたのです。番組ではそれ以上の詳細は触れられませんでしたが、ダイソンは本当に良い伴侶を得たのでしょう。真に凄いのは、ダイソンの奥さんの、「彼に対する信頼」と「深い愛情」かもしれません。
ダイソン金言集(★)
ようやく本題です。新製品のダイソンエアーブレードを説明しながら、彼はこう言います。
(★1)
日常生活の中の不都合が、発想の源なんです
日本の家電安売り競争についてどう思うか?との質問に対して、
(★2)
他と同じ考えで ものをつくれば同じタイプの製品しかできません
その場合、勝つための唯一の方法は、価格を下げて
買う気にさせることなんです。
でも消費者はだまされません
純粋に良い商品を求めていますから。
結局 景気が悪くなったときに生き残るのは、
最高の製品を作っている会社なのです
ダイソンは何故15年間頑張れたのか?「エネルギーの一番のコア(核)は何か?」にという対してこう答えます。
私が使っていた従来の掃除機に対する「怒り」と「苛立ち」です
ですから、神パック式の問題を解決して、それを商品化すれば、
きっとみんな買いたがるとわかっていました。
誰もそう思っていなくても、わたしは確認していたんです
そして、彼自身が、「私は賢い人間ではなく、根気強い人間だ」と主張していることに関して、こう続けます。
私は とても出来の悪い生徒でした。
いい点は取れませんでしたが、努力はしました。
(★3)
絶対諦めないんです。
失敗を乗り越えて 問題の解決策を探る。
それが人生というものです。
学校では一番多く失敗し乗り越えた人に最高点をあげるべきだと思います。
彼は3,146個目の試作品を作ったとき、エジソンの言葉に勇気づけられたそうです。
失敗者とはどれだけ成功に近づいたか気付かず、あきらめた人だ。
(エジソン)
また、ものづくり・デザインについて、こう主張します。
一番大切なことは"機能"が素晴らしいかどうかです
理由は単純です。
見た目が良くても、機能が悪ければ、すぐに嫌いになってしまいます。
見た目が悪くても、機能が良ければ、愛用するでしょ。
そして、新たな価値を生み出す技術者=デザインエンジニアが重要だと主張します。彼のお気に入りの革新的な製品群の写真を見ながら、こう言います。
(★4)
ある問題点について、
これまでのやり方を、根本的に変えて、
今までよりも、良いやり方にする。
それが重要だと思います。
村上龍の一番聞きたい質問 「デザインエンジニアという職業とは?」に対しては、
いい質問ですね。
私は、デザインとエンジニアリングは分けるべきではないと思ってきました。
デザインを見かけのことだと思っている人もいますが、
使い勝手や素材や耐久性、全てがデザインと関係しています。
ダイソンにはデザイナーはいません。
デザインもできるよう訓練されたエンジニア(技術者)がいるだけです。
また、現在ほとんどの企業では、経営者がマネジメント(管理)の専門家であり、製品と距離を置いていることについて、警鐘を鳴らします。
それは、完全に間違いだと思います。
(★5)
私の会社の魅力を、ひとつあげるとすれば、
それは製品であって、経営ではありません。
会社経営でなく、製品が一番大事なんです。
良い製品をつくれば、会社は発展できるんです。
それが何より重要な事です。
製品よりも、会社が大事だと思った瞬間に問題が起きます。
皆が社内しか見なくなり、経営ばかり気にし始めるからです。
どうして日本はサイクロン式掃除機を発売することができたのか?という問いに対して、
私がびっくりしたのは1985年、
ずいぶん前の話ですが、日本の会社に試作品を持って行ったとき、
彼らは新しい技術に興味を持ち、興奮してくれました。
そんな反応は、初めてでした。
ですから、すごく居心地が良かったんです。
日本に対するイメージは、悪くないですね?
いえ、全く逆です。
ライセンス契約で、お金が入って来て、助けられました。
本当に良い経験でした。
細部に気を配り、新しい技術に熱意を燃やす日本人に、とても励まされました。
日本の家電メーカーの現状をどう分析するか、に対しては、
(★6)
問題は、マーケティング担当者が
商品に、ちょっとずつ改良を加えることを良しとしている点です。
何かを大きく変えるのは難しいですし、勇気がいります。
莫大なお金をかけないと、新しい技術も生まれません。
例えば、このデジタルモーターは、開発に15年もかかり、
大金をつぎ込みました。ですから、勇気を出して、多くの資金をかけることです。
ジェームズダイソンアワードについて言及し、
今回の受賞者は、義手を開発した日本人でした。
本当に素晴らしい義手で、これが商品化され、成功することを祈っています。
この賞の良いところは、素晴らしいアイデアを持った若者がいることを、
世界に示せることです。
彼らが、資金調達や企業をする上でとても重要です。
世界に挑む若者へのアドバイスは?との問いに対しては、
苦笑しながら、
(★7)
私に絶対にしないことの1つが、アドバイスです。
唯一できるアドバイスは、「アドバイスは聞くな。」ということです。
人と違うことをして、世界を変えたいとします。
これまでと全く違う事をするのですから
アドバイスを出来る人は、いないはずです。
経験なんて必要ありません。
経験は、過去にうまくいったことであり、
将来うまくいくかどうかとは、関係ないんです。
ですから、「アドバイスに耳を傾けるな」と言いたい。
やりたいことをやって、絶対に諦めてはいけません。
photo credit: Eva Rinaldi Celebrity and Live Music Photographer via photopin cc
如何でしたでしょうか?
ダイソンは英国ではポールスミス、コンランと並んで3大デザイナーと称されます。
英国だけでなく世界中から、その不屈の精神を賞賛して、
技術者のヒーローとも言われています。
今回の金言は賛否あるかとは思いますが、エンジニアにとって、
多少なりとも琴線に触れたのでは、と思います!
「人のアドバイスに耳を傾けるな」
というのは、額面通りというよりも、自分の信念があるなら、貫け、
ということに近いと感じました。
なかなか難しいですが、こういうことを言える人は貴重ですね。
この回を見て、本当に元気が出ました!!